ベティの雑記帳

つぶやき以上ブログ未満

ものすごくやりたいこと(リトルプレス・合唱指揮)

いま僕がものすごくやりたいことについて話をしてもいいですか?

 

Ⅰ リトルプレス

 

リトルプレスとは、小部数の自費出版のことを今風に言ったものである。同人誌とは何が違うのかと訊かれると僕もうまく説明できないけれども、ともかくそういう感じの本のことだ。

 

いま考えているのは、普段このブログに載せているような1000字から2000字くらいの雑文30編と短歌30首を1冊にまとめて、僕がちょうど30歳になる頃に発売する、というものだ。もちろん全部書き下ろしで、できれば1000円ぐらいの値段を設定させてほしい。

 

着想のヒントは『卒論』だ。学部を卒業するときに卒業論文を書いたように、あるいは小学校や中学校を卒業するときに卒業文集を書いたように、20代を終えて30代を迎えるにあたって、いまの僕の全力を出し切って何かを書き上げるというのはおもしろそうだと思ったのだ。

 

それに、形に残して売り物にするとなれば、書くことに関連するあらゆるスキルをいまよりもずっと引き上げなければいけない。そのために必要なのはともかくたくさん書くことだし、たくさん書くために必要なのは無理そうで無理じゃない少し無理な締切なのではないかと思う。およそ1年後までに30編というのは、2週間に1編のペースだ。

 

会社の昼休みにふと思い立って自動見積もりサイトで適当に入力してみたところ、アマゾンにて販売、ソフトカバーで30部印刷したときに、その金額は16万円と出てきた。もしも完売するとして、元を取りたいと目論んだら1部を5000円で売る必要があり、あまりにもめちゃくちゃだ。

 

つまりは、莫大な時間と費用のかかるひとり遊びである。そして、せめてたまにこのブログを読みに来てくれる人たちが買ってくれれば充分に報われるけれども、1部も売れなかったらさすがに苦しいと思う。こういうものは、値段を半分にすれば倍の人数が買ってくれるというものではないだろうし、タダにすれば誰でも貰ってくれるというものでもないだろう。

 

それでも、何かを書くということは、その過程のすべてがなんだかんだで楽しいし、自分の書いたものが誰かに届くということは、どんな褒め言葉よりもうれしいかも知れない。この構想を形にできるのは自分しかいないという思いと、その形にしたものが誰にも届かなかったらどうしようという思いの間で、揺れに揺れている。

 

 

Ⅱ 合唱指揮

 

実を言うと、仕事をはじめて2年目になったら合唱を再開しようかと考えていた時期があった。新型コロナウイルスが流行し始めたのは、1年目が終わる頃だ。その代わりに何かひとりで出来る音楽的な活動はないかと考えた結果、3年目の夏から続けているのがピアノのレッスンである。

 

4年目にあたる今年度は、和歌山の団体の定期演奏会の公募ステージに参加するため、9月から11月までの期間限定で4曲の合唱曲に取り組むことになった。公募ステージなどへの参加はこれが初めてだったし、僕自身のブランクも長かったので、足を引っ張ってしまうのではないかと不安ではあったが、指揮者の先生と団員やほかの参加者の皆さんのおかげで思っていたよりもしっかり歌えたというのが甘めの自己採点だ。

 

再び合唱から遠ざかったいま思うのは、合唱そのものも充分に楽しいけれど、やっぱり自分がやりたいのは「合唱指揮」だということである。何らかのコンセプトに基づいて曲を選んだり、あるいはやりたい曲の中からとあるテーマを見出したりした上で、漠然とした”上手な演奏”よりも明確な”特色ある演奏”を目指せたらいいなと思う。

 

いま僕がものすごくやりたい曲をこっそり教えよう。

 

1. The Real Group - WORDS for SATBB Choir and SATB Vocal Percussion(music and lyrics by Anders Edenroth)

 

2. 混声合唱曲 どのことばよりも(牟礼慶子 作詩/森山至貴 作曲)

 

この2曲をこの順番で演奏したい。理由はというと、1曲目の"Words"に対して2曲目の英題が"Beyond Words"だからだ。合わせて6分くらいなので、どうにかして浜松市民合唱祭に参加して、個人的にも思い入れのあるアクトシティ浜松で披露したい。音取り用の音源などは準備し、みんなが集まったときにはなるべくアンサンブルに専念できるようにして、春から月1回程度練習をすれば10月の本番に間に合うはずだ。

 

また、2曲目はdiv.なしの四部だけれども、1曲目は合唱五部+リズム四部の九部になるので、少なくとも15人くらいは必要だと思う。そもそも、10人以下の小アンサンブルでも成り立つような曲だったら本番の指揮はいらないだろう。

 

この計画のもっとも難しい部分は、メンバーを集めることだと思う。僕の合唱指揮者としての力量を良くも悪くも知ってくれている人たちのうち、どのくらいが誘いに応じてくれるか。合唱していた頃の僕を知らないけれども合唱を通じて知り合ってくれている人が、どのくらい見学や体験に立ち寄ってくれるか。知り合いの知り合いなど、どのくらい広い範囲にこの計画の存在を知ってもらうことができるか。全く予想がつかない。

 

メンバーを集めることにまつわる問題として、兼団のことがある。いずれの団体にも所属していない人だけで人数を揃えることは不可能だと思う。むしろ、いまどこかの団体でバリバリ歌っている人たちにどれだけ加わってもらえるかがキーになるはずだ。しかし、それは、この計画がいまある団体の活動を邪魔することに繋がってしまわないだろうか。

 

さっき、特色ある演奏がうんぬんという話をした。言うまでもなく、僕の身近にあるのは、それぞれの特色と実力を備えていて一聴衆として大好きな団体ばかりだ。どうしても演奏したい曲があり、その曲を通してやりたいことがあって、それは僕が自ら指揮をすることでしか実現できそうにないと言ったところで、僕が日頃から推している団体のメンバーが複数の本番を抱えることで、その団体の本来の活動に対する注力度が下がってしまうようなことがあった場合に、僕のやろうとしていることが正しいとは言えなくなる。

 

ただし、兼団のことを明るい側面から見れば、この計画はかつてない相互理解や交流のチャンスになる可能性もある。いつもコンクールや合唱祭で見かけるあの団体の人たちと一緒に歌うという経験が可能になるわけだし、噂に聞いていたあの先輩/後輩と並んで歌うという場面もあるだろう。一般団体にとっては新たな団員の獲得に繋がることだってあるかも知れない。

 

「ひとりでは出来ないこと」というのが世の中にはたくさんある。ひとりでは出来ないからこそ合唱は楽しくもあり、難しくもある。