ベティの雑記帳

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『フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか』(前編)

かれこれ2年近く前の話になってしまうのだけれど、28歳になって初めての朝を迎えたのは自分の家ではなく浜松の都田だった。「都田建設」が運営している「ドロフィーズキャンパス」の一部である「白のMINKA」という宿泊施設に泊まっていたからだ。

 

ドロフィーズキャンパスに初めて行ったのはその1年前で、建物とその庭のデザインやショップのお洒落さ、カフェの雰囲気などにかなり惹かれた。そんな建物のひとつに泊まることができると知って、ちょっと特別な機会が来るのを窺っていたのだった。

 

泊まったときの感想をその直後に書けなかったのは、その体験が僕にとってあまりにも良かったせいかも知れない。シンプルでありながら美しく、お洒落でありながら落ち着く空間を独り占めして鑑賞することができて、眠くなったらそこで寝ていいというのはものすごく贅沢なことだったと思う。それに、チェックインからチェックアウトまでの時間の経過によって同じものの見え方がまるっきり変わることにも驚いた。

 

しかしながら、そのときに撮った写真はどれもそのときの感覚をほとんど伝えられそうにない。建築という3次元な物体の良さは、やはりその場へ行ってみないことにはどうしても伝わらないような気がする。これ以上多くの人には知られて欲しくないような、本気のお気に入りの場所だ。

 

 

さて、このドロフィーズキャンパスの雰囲気は「北欧らしさ」と「田舎らしさ」の融合によって出来上がっている。デザインに魅力を感じるということは、単にその形や色が好きであるということには留まらず、その設計思想と自分の価値観に何らかの共通点があるものと考えていい。

 

これは、髪型やファッションやクルマのような自分の一部と見なしうるものに当てはめて考えれば分かってもらえると思う。ツーブロックにはツーブロックの価値観があり、地雷系には地雷系の価値観があり、車高の低いハイエースには車高の低いハイエースの価値観がある。

 

僕が「田舎らしさ」に居心地の良さを感じるのは宇都宮の街外れに生まれたからに他ならないけれども、「北欧らしさ」に惹かれるのはどういった理由だろうか?そのことを考えるために買った『フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか』(堀内都喜子著・ポプラ社・2020年)を先ほど読み終えた。

 

仕事を効率的に処理するためのハウツー本のようなタイトルだが、日本人とフィンランド人の価値観の類似点と相違点に注目した本である。フィンランドに留学した経験を持ち現在はフィンランド大使館に勤める著者が、フィンランド人の友人たちのリアルな声を取り入れながら、その働き方や休暇の過ごし方、キャリアの積み方などについて紹介している。

 

感じたのは、確かに自分はフィンランド社会のほうが日本社会よりもストレスなく生きていけそうだな、ということである。採用や昇進において年齢や性別や学歴がほとんど意味を持たず、解雇による短期的な失業を経験することが少なくないけれども、定時で帰って余暇を趣味や学びや家族の時間に充てて、夏休みは多くの人が1か月まとめて取ることができる、というような社会だ。

 

その根底にあるのは、集団よりも個人を尊重する考え方なのだと思う。その逆で、個人よりも集団を尊重しているのが日本の会社であり日本の社会である。進んで残業や休日出勤をするような人を高く評価することで、仕事以外のことを考えたり実際に取り組んだりするような時間と気力を意図的に奪っているのだろう。

 

「新しいアイデアを生み出せる」というのは「別のパターンを提示できる」ということである。いま目の前にあるものが決して唯一絶対のものではないということを知るために必要なのは、先入観を排除するトレーニングなんかではなく、より多くのパターンを見聞きすることだ。

 

別のパターンにもいろいろあって、いま目の前にあるもののすぐ隣にあるものはあまり新しいアイデアとは言えない。本当に新しいアイデアは遠いところにある。常に仕事のことだけを考えている集団に忠実な人間は、実際のところ、遠いところにある別のパターンを知らない、新しいアイデアを生み出せない人間なのではないだろうか。

 

そうは言っても、いまの日本にフィンランド流の働き方の枠組みだけを持ち込んだところで、うまく定着するとは思えない。それどころか、正しい個人主義が社会に浸透しているという大前提がないままフィンランド流の働き方を中途半端に取り入れてしまった場合、状況はいまよりも悪くなる可能性すらある。

 

(後編に続く)