ベティの雑記帳

つぶやき以上ブログ未満

曖昧とミーマイン/Klang Ruler

曖昧とミーマイン/Klang Ruler

https://youtu.be/HBw0E3axxYA

 

日曜の夕方、本を読んでいたときに、『自分が何者か 知るのが怖いだけなの』っていうフレーズがどこかにあったな、ということをふっと思い出した。

 

年が明けてから2月が終わるまでずっと慌ただしかった。1月下旬のシンポジウムの準備では取れたてで山盛りのデータを解析してまとめ上げるのにかなりの労力がかかって、前日の夜まで発表スライドづくりをしていた。2月の上旬にあった博士課程の中間審査に相当する研究発表は、あまり時間をかけることなくサクッと片付けたいと思っていたけれども、ここまでの2年間にやったことを20分にまとめるというのはそう簡単な筈もなく、普通の学会発表の準備よりも行ったり来たりを繰り返す羽目になった。その後は論文の査読対応の洗礼を受けて、書いても書いても終わりが見えずに苦しんだ。

 

とは言っても、平日に昼まで寝たり、昼夜を問わず漫然とツイッターを見たりしていた時間も決して短くないということは断っておかないといけない。ビバ怠惰な学生生活という感じがするけれども、実際には、そういう時間の溶かし方は頭が疲れすぎていたことの証左だと思う。この季節でも外が明るくなるまで作業し続けることは難しくないけれども、その分をきっかり寝たり休んだりしているので、僕という人間にはそもそも心身を磨り減らすほど働き続けるストイックさはインストールされていないんだろうな、と考えることがよくある。そういえばこの間に合唱の本番もあった。

 

働くのを辞めて学生に戻ります!という話をしたとき、いろいろな人が、ベティは『やりたいこと』があってすごいよね、というようなことを言ってくれた記憶がある。けれども、それは僕にはあまりしっくりきていなくて、本当は『やりたいこと』なんてないのになぁと思っていた。

 

博士号の取得というのがちょっとずつ自分事になってくるにつれて、あるいは単に修了予定の期日が着々と近付いてくるにつれて、将来のことを考えなくてはいけなくなってくる。なぜか思い出してしまうのが、2021年の10月頃、僕がおそらく最も鬱に近かった時期のことだ。自分は修羅としてこのままひとりで生きてひとりで死ぬのだという圧倒的な事実を突きつけられたのはそのときが初めてではなかったのだけれど。

 

もしかすると、僕にないのは『やりたいこと』ではなく『なりたいもの』なのではないか。確かに、これまでいろいろな人が言ってくれた通りで、自分は多くの人よりも『やりたいこと』が強くはっきりしているかも知れない。けれども、どう足掻いても、きっと、どれだけ偉くなっても、どれだけ幸せ(そう)になっても、本当の自分は何者にもなれないということを知ってしまっている。それならば、何者にもなることなく生きていくのが最も苦痛の少ない方法だろう。

 

『自分が何者か 知るのが怖いだけなの』というフレーズとともに思い浮かんだのは恐らくこういう感じのことである。30歳をとうに過ぎた人間が真顔で言うことではないけどなぁ。

 

引用集 '25

結婚しないのは悪いことじゃないし、わがままでもない。でも、人として超わがままなんだよね。

(【土曜ドラマ】ひとりでしにたい 原作:カレー沢薫 脚本:大森美香

 

 

弱いってええことやで。弱いから他の人の弱いところが分かって助けられる。おっちゃんも弱いところあるけど、全然恥ずかしいと思ってへん。

(【土曜ドラマ】心の傷を癒すということ 原作:安克昌 脚本:桑原亮子)

 

 

それでいいんだよ、おおいにわらったり泣いたりしてこそ、人間らしい生き方といえるんだ。

藤子・F・不二雄ドラえもん「ムードもりあげ楽団登場!」)

 

 

このように見てくると、さまざまな偶発的要素が、楽器の「〜らしさ」に貢献していることがわかる。ピアノの非調波成分は、それを意図したというよりは、重量を増やす目的で弦を太くしたがための副産物だろう。リコーダーの倍音の不規則変動も、その発生のメカニズムはいまだに不明であるが、意図したものではないだろう。

日本音響学会編,音響サイエンスシリーズ1 音色の感性学-音色・音質の評価と創造-,コロナ社

 

 

女には何をしたっていいんだと気づくコルクのブイ抱きながら

穂村弘,シンジケート[新装版])

 

 

「おれの頭はな、帽子を被るためだけにある。」

 

 

「低い心と行いに友は集まる」
(【連続テレビ小説】虎に翼 作:吉田恵里香

 


私は詩人としては自信がありませんが、一個のサイエンティストとしては認めていただきたく思います。

宮沢賢治草野心平に宛てた手紙,宮沢賢治と宇宙(放送大学教材 8248),放送大学教育振興会



 「日本ファースト」は、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」だと考えればイメージしやすい。
 「この蜘蛛の糸は日本人専用だ、おまえら外国人は上ってくるな」と叫ぶカンダタの頭の上で、糸はプツンと切れるのである。

(松浦 晋也の「チガサキから世間を眺めて」 「日本人ファースト」が破壊する日本人が住みやすい環境,日経ビジネス電子版)



第三次世界大戦がどのようにおこなわれるかは私にはわからないが、第四次世界大戦で何が使われるかはお教えできる。石だ!

アインシュタイン,増補新版 アインシュタインは語る)

 

 

後世のみなさん。
あなたがたが今の私たちより公正に、平和的になっておらず、
もっと分別をもっていないのなら、
悪魔にさらわれてしまいますように。
敬意をもってこの心底からの願いを表明している(あるいは、いた)のは
アルベルト・アインシュタインです。

アインシュタイン,増補新版 アインシュタインは語る)

 

 

だが私は反対だ。神の教えに反するからじゃない。共同体が壊れてしまうからだ。競争を刺激するには我々は人数が少なすぎる。それに増えればいいってもんでもない。人数が増えるほどたしかに競争は激化するが、その分格差も酷くなる。そしてそれは争いを生む。この発想には弱者を救済する仕組みがない。倫理を失った自由はただの混沌だ。

(【TVアニメ】チ。-地球の運動について- 第17話「この本で大稼ぎできる、かも」)

 


俺は、筆より重いもんは持ちつけねぇんで。

(【大河ドラマ】べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜 第28回「佐野世直大明神」)

 

 

わたしたちにはしっぽが必要

(millitsuka,生活の尾)

 

 

代えられないものが多すぎるよ

失われたものになれっこないよ

冨田ラボ,World Tree)



『水中の哲学者たち』永井 玲衣

哲学者である永井玲衣さんによって2021年に出版された、「哲学をすること」にまつわるエッセイ集である。

 

と、このまま読書感想文を書き進めていきたいところではあるのだけれど、自分のようないわゆる理系の人間が、正確に言えば、哲学についてほとんど何も知らない人間が、こういう題材で何かを書いても大丈夫なのだろうか...と思う。

 

言い逃れとしては、べつに分かった気になって書くつもりはないのでどうか見逃してください、という点に尽きる。

 

僕はこの本を「哲学をすること」について書かれた本だと受け取った。この本を読んだからといって、有名な哲学者の思想が分かるようになる訳でもないし、永井さんご自身の哲学研究の成果について知ることができる訳でもない。けれども、「哲学をすること」とは一体どういうことなのかについては、その端緒をこの本で感じることができたと思っている。それは、どうやら、哲学について学ぶこととは違うし、哲学を研究することとも違っているらしい。

 

ここでは、そうした「哲学」そのものについて書くつもりはない。なので、どうか見逃してください......とかなんとか言っているうちに、『水中の哲学者たち』の最大の特徴を紹介し終えてしまった。

 

それなら、「哲学をすること」というのはどういうことか。その答えは、とてもさまざまで、些細な出来事のなかに潜んでいて、ときに不確かでもあって、エッセイという形態だからこそかろうじて描くことができたようなことだと思う。その描かれ方はとても丁寧で、詩を読むときのようにゆっくりと読みたくなる。

 

特に印象的だったのは、「どうか、考えるということが、まばゆく輝く主体の確立という目的だけへ向かいませんように。自己啓発本や、新自由主義が目指す、効率よく無駄なく生をこなしていく人間像への近道としてのみ、哲学が用いられませんように。」(祈る、125ページ)という部分である。

 

たとえば「人は何のために生きているのか?」という問いに対して、決して「人それぞれだよね」では済ませずに、普遍的な答えに辿り着こうとするのが永井さんらが実践する哲学対話である。このとき、考えれば考えるほど分からなくなるということも往々にしてあって、自分のことでさえ時として分からなくなっていくこともある。

 

一方で、自己啓発本的、新自由主義的な価値観というのは、パッと見では僕たちに主体的な選択権を与えているように見せかけて、実際にはあらゆるものを競争に仕立てて、そこからはみ出してしまう人々をはじめから存在していなかったことにするようなものだと思う。自己啓発本で世界がクリアに見えるのは、そのカラフルな複雑さを画一的な理屈で覆い被せてしまっているからに他ならない。

 

世の中はすでに相当に世知辛くなっていて、「考えれば考えるほど分からなくなるかも知れませんがここはひとまずみんなで丸く座って考えてみましょう」では、そういう体験を本当に必要としている人たちには相手にしてもらえないと思う。ならば、どうすれば「哲学をすること」の価値は広まっていくのか。考えていくしかない。