ベティの雑記帳

つぶやき以上ブログ未満

アポ爺とマニュー婆

 静岡の中小企業の機械設計者から JAXA宇宙科学研究所の博士課程学生へという大きな軌道変更を決意するに至った最大の理由は,”哲学のある研究者“になるためであればこれからの人生のすべてを賭ける価値があると考えたからである.


 これまでの宇宙工学によって実現した技術が人々の生活様式へもたらした変容や宇宙科学そのものが人々の価値観へ及ぼした影響は計り知れない.これからの宇宙工学はさらに多くのモノやヒトを宇宙へと運び,それによって地上の人々にもさらに大きな変容や影響を及ぼすに違いない.しかしながら,”夢“や”ロマン”といった言葉で宇宙開発の意義を説明できる時代は終わりに差し掛かっていると私は考えている.


 2023 年夏を目処に改訂が予定されている「宇宙基本計画」において”宇宙安全保障”施策の推進が第 1 項に掲げられているように,宇宙空間の利用は地上における複雑な安全保障問題ともはや無縁ではいられなくなっている.[1] 衛星破壊実験は,宇宙空間の安全を脅かすのみには留まらず,軌道上に残された人工衛星やその残骸である「スペースデブリ」の数を増大させ,”宇宙環境問題”と呼ぶべき懸念を引き起こしている.米国では 2015 年に「宇宙資源開発利用法」が制定され,2021 年には日本もこれに続いた.1967 年に定められた「宇宙条約」および 1979 年に定められた「月協定」では明確に禁止しているとは言い難いこの立法が道徳的にも公平なものと言えるのか,”宇宙資源の所有論”についての議論が求められている.[2]


 「科学の進歩は 一個人 一企業 一国家のものではない(中略)進歩は 真理 正義 美に向かって魂を高めないかぎりその名に値しない」というのは,「月世界旅行」などを遺したフランスの小説家ジュール・ヴェルヌの言葉である.科学技術はただそこに”存在”するのみであり,どれを役に立つものとしてどれを役に立たないものとするのか? 役に立つと判断したものをどのように使いこなすのか? そうした”問いかけ”は研究者を含めたすべての人々へと向けられている.

 

 私の考える”哲学”とは,偉大な哲学者の思想を追いかけることでも,議論や執筆に明け暮れることでもない.みずから進んで手を動かし,体を動かしながら,モノやヒトとの対話を通して”より新しい見方”や”よりよい考え方”を追い求める姿勢のなかに本物の哲学があるように思う.


 そのような哲学の姿を捕らえるためには,前項に述べた「自分の研究について誰よりも考えつづけること」と「相手の専門性に応じて自分の研究を伝えること」の 2 つが極めて重要な資質であると考えている.


 「自分の研究について誰よりも考えつづけること」の観点からは,研究所内のシンポジウムなどへ積極的に参加し,宇宙科学にまつわる理学・工学の諸分野の最前線について理解を深めたい.それによって,みずからの研究テーマを深化させることのみに満足せず,自分が関係するミッションの全体を見渡す視点を併せもてるようになりたい.


 「相手の専門性に応じて自分の研究を伝えること」の観点からは,国際会議での研究発表を行うことで海外の研究者や学生との積極的なコミュニケーションを図りたい.学会発表によって鍛えることのできるコミュニケーションの瞬発力は,”より新しい見方”や”よりよい考え方”を取り入れるために必須となる.また,これまでのミッションの成果から宇宙科学研究所の活動は社会的にも大きな注目を集めているため,子どもから大人までの宇宙に興味をもつ方々に新たな驚きを感じてもらえるように,アウトリーチ活動にも主体的に携わってゆく.


 このように,「宇宙科学研究所」という環境がもつ特徴を最大限に生かし,博士課程学生ながらも JAXA の一員としての責任感と倫理観をもって積極的な研究活動を行っていくことを,かつて「きみっしょん」に参加していた高校 1 年の自分に約束しようと思う.


参考文献 1 宇宙開発戦略推進事務局.“宇宙基本計画(案)”.内閣府.2023-04-17.
https://www8.cao.go.jp/space/comittee/dai105/siryou2.pdf,(参照 2023-05-04).
参考文献 2 伊勢田哲治,神崎宣次,呉羽真編.宇宙倫理学昭和堂,2018,283p.

 

【ひとこと】

 昨年のJSPS DC1の申請書から一部を抜粋したものです。ここで公開してもしなくても同じ文章を使い回すことはできないし、そもそも書くということ自体はけっこう好きなので、今年はもうちょっといいものを書けるように頑張ってみます。

 

ちょっと大袈裟かな?

先日、いつもの美容師さんに髪を切ってもらいながら、来週ぐらいには引っ越しちゃうんですよという話をした。こういう風に僕が客という立場だと、お店を出るときに「また来てくださいね」と言ってもらえるので、少し気が楽になる。

 

おそらく実際には、何かしらの用があって静岡に戻ってくる機会は限られるし、その機会と髪を切りたいタイミングが一致して、なおかつ時間に余裕があって、というような場面はないと思う。それは分かっていても、また会う可能性がある感じにしておかないと気分がセンチメンタルになり過ぎてしまう。

 

このことは会社の最終出勤日にもつくづく思った。他の部署の上司など数人から言われたのは「テレビに映れるくらいにがんばれ」だった。それもまあ一種の再会だし、そうやって宇宙探査や宇宙開発のニュースに注目してくれれば嬉しいし、いまのところ大学教員を第一志望にしている僕にとっても掲げるに値する目標だし、ありがたいことだと思う。ちなみに同じ部署の年齢が近い人たちなどは相模原まで遊びに来る気が満々で、こっちは遠くない将来に実現してほしい。

 

自分としては、この会社にこれから何十年も居続けるかどうかを見極めようとする視点が最後まで残っていて、肩までどっぷり浸かるのではなく波打ち際でチャパチャパやってしまったという気持ちがある。だからこそいまこういう進路になっている訳なのだけれど、僕が思っている以上にちゃんと一員にカウントしてもらっていた感じがあって、つくづくありがたいと思う。

 

ここに住んで1年目のうちに冒頭の美容師さんが担当になってくれたことがあり、そのときに同い年だということが分かって、それ以来ずっと指名をしていた。今回はちょっと会話が少なめだな、やっぱり忙しいのかな、と思ったことがあったが、その3か月後にはお腹が大きくなっていて、そのあと数回は同じ美容院の他の美容師さんにお願いをすることになった。

 

「そういう目標というか夢みたいなのがあってすごいですね」と言われたので、バリバリ仕事しながら子供さん育てて、そのほうがよっぽどすごいじゃないですか、もしみんながみんな僕みたいな生き方したら社会が崩壊しちゃいますよ、と言ったらめっちゃ笑われてしまったのだけれど、これはずっと変わらない僕の本心でもある。

 

この辺りのことは、この5年間ずっと考えつづけてきたことなので、いろいろな階層でいろいろな角度から説明ができるのだけれど、まずもって、自分の職業や進路は僕ひとりで決定して行動できるのに対して、結婚や子育てといったことは自分ひとりで成すことができない。この時点でどちらの難易度が高いかは明らかだ。

 

また、これは功利主義や徳倫理学のような倫理学的な『正しさ』とは微妙に違っている個人的感覚になってしまうのだけれど、みんなが同じ行動を取れないのであればあまりいい行動とは言えない、という考えが僕にはある。端的な具体例を挙げれば、500人いる避難所で800個しか乾パンの缶がないのに3個目を持って行っちゃダメでしょ、みたいな話である。

 

国立大学に授業料免除で通うということは、税金を納める側から使う側になることだと言って差し支えないと思う。『大学院生は対象になりません。(大学院への進学は18歳人口の5.5%に留まっており、短期大学や2年制の専門学校を卒業した者では20歳以上で就労し、一定の稼得能力がある者がいることを踏まえれば、こうした者とのバランスを考える必要があること等の理由から、このような取扱いをしているものです。)』という有名な一節もあるように、みんながみんなこっち側に来ることは出来ないのだから、そのことに対する後ろ暗さは拭えないというのが僕の感覚だ。

 

とはいえ、この話にはふたつの但し書きをセットにしないといけない。ひとつ目は、そもそも税金を使う側=悪ではないということだ。生活保護受給者や障害者さらには年金受給者などを自分よりも下と見なして執拗に批判するような態度は明らかに間違っている。なぜそういった態度が取れるのかといえば、働いている自分たちと働いていないあの人たちの間に上下の境界線を引くことが出来るという誤った認識があるからだ。

 

すべての人が活躍する社会を目指そうなんていうのは想像力の欠如もいいところで、本当に安全・安心な社会というのは、たとえ明日事故で大怪我をして首から上しか動かせなくなってもなおしっかりと生きていけるような社会であって、それはつまり活躍しようがしまいがそんなことお構いなしに居場所のある社会である。こうした言うまでもないことを改めて書かないといけないほどに最近の世の中には厳しいものがあると感じている。

 

もうひとつの但し書きは、大学院生の研究は勉強よりも仕事に近いということである。これはおそらく理系で学部卒以上の経験をした上で就職した人であれば当然分かっていることだと思うのだけれど、そうでない人からはどうしても「また勉強するなんてすごいね」というようなことを言われがちだ。

 

僕が常々思うのは、高校や専門学校などで学ぶことがどちらかというと自分の手に職をつけるためのものであるのに対して、大学や大学院で学ぶことは決して自分のためだけではなく回り回って社会に還元されている、ということだ。端的に言えば前者は消費のイメージで、後者は生産のイメージである。このことには文系とか理系とかも関係ないと思う。

 

そもそも『学生』と『社会人』という対比が全然正しくない気がする。企業では出来ないような研究が大学で行われて、その成果が学会や論文で発表され、企業の人たちも含むさまざまな人がそこにアクセスする。バイトでその街の大事な働き手になる。サークルや部活で文化やスポーツを盛り上げる。(レベルだけで言えば『社会人』のほうが上だったりするが、未経験者を数年で一人前にして競技人口を供給するようなはたらきは『学生』の活動が圧倒的だと思う)どれを取っても社会の一員と見なすに充分だろうと思う。

 

だから、たとえ僕が30歳学生ですわ~とか言ってヘラヘラしていても、僕以外の博士課程学生あるいは大学院生をいい歳してまだ社会に出ていない人たち、のように言うのは全くもって見当違いということだ。

 

会社を辞めて博士課程学生になるという判断をはたから見るとどうしてもストイック!とか向上心!という感じに見えてしまうのかも知れないけれど、自分の感覚としては真逆である。本来だったら、苦手だった会社での業務も克服するべきだったし、私生活が停滞しているなら言い訳も高望みもせずに婚活でも何でもするべきだった筈だ。けれども結局は、僕がいちばん好きなもの、僕がいちばんやりたかったこと、そして僕の中ではいちばん得意なことに戻ってきてしまった。

 

そういえば、面接試験を終えてから合格発表が出るまでの2週間ちょっと、溜まった疲れがある筈なのに気分が落ち着かずどうしても早く目が覚めてしまうような毎日に、ふっと気が付いたことがあった。それは、僕が前々からたまに言っている「みんなが宇宙に行ける時代をつくる」というのは個人的な夢というよりも社会的な使命なんじゃないか、だから自分の中に納得のいく理由を探して諦めようとしても出来なかったんじゃないか、ということだった。

 

ちょっと大袈裟かな?

 


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『フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか』(前編)

かれこれ2年近く前の話になってしまうのだけれど、28歳になって初めての朝を迎えたのは自分の家ではなく浜松の都田だった。「都田建設」が運営している「ドロフィーズキャンパス」の一部である「白のMINKA」という宿泊施設に泊まっていたからだ。

 

ドロフィーズキャンパスに初めて行ったのはその1年前で、建物とその庭のデザインやショップのお洒落さ、カフェの雰囲気などにかなり惹かれた。そんな建物のひとつに泊まることができると知って、ちょっと特別な機会が来るのを窺っていたのだった。

 

泊まったときの感想をその直後に書けなかったのは、その体験が僕にとってあまりにも良かったせいかも知れない。シンプルでありながら美しく、お洒落でありながら落ち着く空間を独り占めして鑑賞することができて、眠くなったらそこで寝ていいというのはものすごく贅沢なことだったと思う。それに、チェックインからチェックアウトまでの時間の経過によって同じものの見え方がまるっきり変わることにも驚いた。

 

しかしながら、そのときに撮った写真はどれもそのときの感覚をほとんど伝えられそうにない。建築という3次元な物体の良さは、やはりその場へ行ってみないことにはどうしても伝わらないような気がする。これ以上多くの人には知られて欲しくないような、本気のお気に入りの場所だ。

 

 

さて、このドロフィーズキャンパスの雰囲気は「北欧らしさ」と「田舎らしさ」の融合によって出来上がっている。デザインに魅力を感じるということは、単にその形や色が好きであるということには留まらず、その設計思想と自分の価値観に何らかの共通点があるものと考えていい。

 

これは、髪型やファッションやクルマのような自分の一部と見なしうるものに当てはめて考えれば分かってもらえると思う。ツーブロックにはツーブロックの価値観があり、地雷系には地雷系の価値観があり、車高の低いハイエースには車高の低いハイエースの価値観がある。

 

僕が「田舎らしさ」に居心地の良さを感じるのは宇都宮の街外れに生まれたからに他ならないけれども、「北欧らしさ」に惹かれるのはどういった理由だろうか?そのことを考えるために買った『フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか』(堀内都喜子著・ポプラ社・2020年)を先ほど読み終えた。

 

仕事を効率的に処理するためのハウツー本のようなタイトルだが、日本人とフィンランド人の価値観の類似点と相違点に注目した本である。フィンランドに留学した経験を持ち現在はフィンランド大使館に勤める著者が、フィンランド人の友人たちのリアルな声を取り入れながら、その働き方や休暇の過ごし方、キャリアの積み方などについて紹介している。

 

感じたのは、確かに自分はフィンランド社会のほうが日本社会よりもストレスなく生きていけそうだな、ということである。採用や昇進において年齢や性別や学歴がほとんど意味を持たず、解雇による短期的な失業を経験することが少なくないけれども、定時で帰って余暇を趣味や学びや家族の時間に充てて、夏休みは多くの人が1か月まとめて取ることができる、というような社会だ。

 

その根底にあるのは、集団よりも個人を尊重する考え方なのだと思う。その逆で、個人よりも集団を尊重しているのが日本の会社であり日本の社会である。進んで残業や休日出勤をするような人を高く評価することで、仕事以外のことを考えたり実際に取り組んだりするような時間と気力を意図的に奪っているのだろう。

 

「新しいアイデアを生み出せる」というのは「別のパターンを提示できる」ということである。いま目の前にあるものが決して唯一絶対のものではないということを知るために必要なのは、先入観を排除するトレーニングなんかではなく、より多くのパターンを見聞きすることだ。

 

別のパターンにもいろいろあって、いま目の前にあるもののすぐ隣にあるものはあまり新しいアイデアとは言えない。本当に新しいアイデアは遠いところにある。常に仕事のことだけを考えている集団に忠実な人間は、実際のところ、遠いところにある別のパターンを知らない、新しいアイデアを生み出せない人間なのではないだろうか。

 

そうは言っても、いまの日本にフィンランド流の働き方の枠組みだけを持ち込んだところで、うまく定着するとは思えない。それどころか、正しい個人主義が社会に浸透しているという大前提がないままフィンランド流の働き方を中途半端に取り入れてしまった場合、状況はいまよりも悪くなる可能性すらある。

 

(後編に続く)

高校時代とミスチルと

ap bank fes '23 ~社会と暮らしと音楽と~】の1日目に行ってきた。

 

僕がミスチルにどっぷりとハマっていた時期はちょうど高校の3年間に重なる。櫻井和寿小林武史、そして坂本龍一によって設立された「ap bank」が開催するこのフェスの存在を知ったのもその頃だ。ap bank fesの模様を収録したものが放送されていて、ひとりお茶の間のテレビでそれを観ながら『いつか行ってみたい』と思った記憶がある。

 

記憶がある、といっても過去の記憶は改変されていることが少なくない。念のために調べてみると、2012年の秋にNHK総合やNHKBSプレミアムで再放送も含めて何度か放送されていたということが確認できた。受験勉強もそこそこに、後につま恋静岡県掛川市)のこんな近くに住むことになるなんて思いもせず、それらの放送のどれかを観ていたのだろう。

 

 

今回は初めてのap bank fesであり、初めての生ミスチルでもあった。その理由は、学生時代は時間的にも金銭的にもライブに行く余裕なんてなかったということも勿論あるのだけれど、それ以上に僕がミスチルから離れていたということのほうがずっと大きい気がする。

 

これは私的な解釈になるけれども、Mr.Childrenの音楽が最も伝えようとしているメッセージを歌詞から引用すれば「誰の真似もすんな 君は君でいい/生きる為のレシピなんてない ないさ」になると思っている。

 

 

少なくとも勉強については自信を持てる程度の水準を維持していて、年に何cmも身長が伸びて出来ることが目に見えて増えていった中学までとは違って、目指す自分と実際の自分との隔たりが最後まで縮まらなかったのが僕の高校時代だった。それでもミスチルの曲を聴きながら、そして歌いながら、目指す自分をちゃっかり実際の自分のほうに引き寄せたりすることなく走り抜けることは出来たのかな、とは思う。

 

では、その後どうしてミスチルから離れることになったのか。それは、『君は君でいい』という生き方に対する疑義が徐々に大きくなっていったからに他ならない。『みんなが当たり前にやっていることを自分だけやらない』なんていうのは自意識過剰の表れのようなものだし、『みんなが普通に出来ていることが自分には出来ない』というのであればそれは単なる努力不足であって、『君は君でいい』という台詞を決してそのまま受け取ってはいけない。いつしかそう考えるようになった。

 

1日目のミスチルのステージは「CROSS ROAD」から始まって、僕が初めて買ったCDアルバムであるSUPERMARKET FANTASYから「口がすべって」や高校1年のときに発売されたロックなアルバム(という印象を当時は受けた)SENSEから「HOWL」など、当時どれだけ繰り返し聴いたか分からない曲も演奏され、ちょっと泣きそうになるくらい感じ入ってしまった。

 

このとき気付いたのは、僕がミスチルを好きというよりは、ミスチルが僕の好みを形作っていると考えたほうがより正しいのではないか、ということだった。それは音楽的嗜好に限ったことではない。いまの僕の思想や価値観もあの高校時代があったからこそのものであって、ミスチルの言葉のひとつひとつに影響を受けていると考えたほうが自然である。

 

そもそも、『君は君でいい』という生き方から距離をとって『みんなと同じであること/普通であること』を目指したこれまでの間に、僕は実際どれだけ変わることが出来ただろうか。目指す自分がある場合には、向かうべき方向はひとつに定まる。しかし、みんなとか普通というようなものを目指せと言われても、その正体は漠然としていて、どちらに向かって歩き出せばいいのかすら僕にはよく分からない。

 

かつての僕が『いつか行ってみたい』と思っていた場所に、11年経ってこうして辿り着くことができたように、かつての僕が目指していたものをもう一度追いかけてみることもおそらく可能なのだろう。というより、自分に出来るのはそういう生き方だけのようにさえ思える。

 

さて、自分からミスチルの海に飛び込んだのは高校生になるときだったけれども、ミスチルのことを初めて意識したのはもっと前だった。2004年に始まった日清食品のテレビCM「NO BORDER」である。

 

 

きっと、櫻井さんははじめから『世界』を歌おうとしている訳ではないのだと思う。さまざまな出来事を受けて自分のなかで引き起こされる心の動きを細かく詳しく観察することによって、結果として普遍的なところへ行き着いてしまうのではないだろうか。とても哲学的だし、やっぱりかっこいいなと思う。

 

もう夏

平日の朝、起きるのがつらいのはいつものことながら、ここ最近はそのつらさが度を超えている気がして、その原因を考えてみたところ、夜中や明け方に目が覚めることが多いことに思い当たって、もう夏なんだなと思った。

 

この部屋はどうにも熱がこもりやすいようで、寝るまでの時間にクーラーをかけていても、寝るときにそれをOFFにすると、夜中に部屋の温度が驚くほど上がってしまう。それならば、寝ている間もクーラーをガンガンにしておけばいいと思うかも知れないが、コンセントの位置で家具の配置を決めたらどうしてもベッドをエアコンの真下に置くしかなくて、冷風を直に浴びるのもそれはそれで不調のもとだ。

 

去年の夏も同じ問題に直面して、最終的にはベストな空調設定を見つけたはずなのだけれど、秋と冬と春を迎えては見送るうちにそんなことはすっかり忘れてしまっていて、またしても試行錯誤をする羽目になっている。

 

そもそも、去年の梅雨の時期ってこんなに夜も暑かったっけ?よく憶えていない。その替わりに思い出してしまうのが、安倍元首相銃撃事件のことである。

 

この事件に関して僕がずっと思っているのは、被告が宗教2世であることが大きく注目されるあまり、もっと根本的な事件の背景に切り込めないようでは困るということだ。実際、事件の直後の憶測では、首相経験者を選挙活動中に襲撃するなんて政治的主張が理由であるに違いないと考えた人が多かったように思う。当初は『特定の宗教団体に恨みがあった』[1] と報道されていた、そのような供述を受けて、理由と行動の結びつかなさに戸惑ったというのが率直な第一印象ではなかっただろうか。

 

もちろん、僕がこんなことを言うまでもなく、担当の検察官や弁護士、ジャーナリストなどはそのあたりを詳しく調べようとしているに違いない。肝心なのは、この事件に遭遇してしまった我々が、ほんのちょっとでも関心を持ちつづけられるかどうかのような気がする。

 

この事件の直接的な被害者は安倍元首相ひとりだけだったと言うことも可能ではある。しかしながら、実際には、国内のみならず世界中の人々が間接的にショックやダメージを受けたはずであり、一人ひとりが受けた影響をその人数分足し合わせていけば、その総量は計り知れない。

 

重大事件が世相に影響を及ぼし、そんな世相がまた次の重大事件を引き起こすという連鎖反応は、社会や政治が相当な努力をしない限り、残念ながら引き起こされて当然のように思える。この危機感のような不安感のような感覚は、普段の会話には浮き上がってこないものの、実はほとんどの人がうっすらと意識しているものなのではないかと僕は考えている。

 

近年の重大事件、特に無差別殺傷事件においては、その原因として社会からの「孤立」が指摘される事例が多い。[2] また、つい先月には「孤独・孤立対策推進法」が交布され、その中では『孤独・孤立の状態となることの予防、孤独・孤立の状態にある者への迅速かつ適切な支援その他孤独・孤立の状態から脱却することに資する取組』[3] を推進すると書かれている。ネット上でよく言われているように、やはり「ぼっち=犯罪者予備軍」なのだろうか?

 

その前に、「孤独」と「孤立」を並記しているのはどうしてかを確認しておく必要がありそうだ。2021年の資料「孤独・孤立対策の重点計画」によれば、『一般に、「孤独」は主観的概念であり、ひとりぼっちと感じる精神的な状態を指し、寂しいことという感情を含めて用いられることがある。他方、「孤立」は客観的概念であり、社会とのつながりや助けのない又は少ない状態を指す。』とある。[4] [5] [6]

 

そして、「孤立していないが孤独である」場合や「孤立しているが孤独でない」場合も考えられ、対策を必要とするような『「望まない孤独」であるか否かの判断には慎重さが求められる』と書かれている。[4]

 

「その孤独はあなたが望んだものですか?」という問いに僕は即答できる気がしない。そもそも「あなたは孤独であると感じますか?」という問いに対してYESとNOのどちらに丸をするべきなのか分からない。

 

YESと答えたとして、「あなたには対策が必要です」「何でも相談できる相手をもちましょう」「自宅と職場以外の居場所をつくってください」とか言われるのであれば鬱陶しい。かといって、「孤独感がないのであればずっとそのままでいいですね」「生涯未婚でもそれは望んでのことですよね」なんて言われるのも腹が立つ。それを言った相手にではなく、何も決められないままこの歳まで漫然と生きてきてしまった自分に、である。

 

自分にとって「ひとり」の時間が不可欠であることは間違いない。もしかするとそういう時間が普通の人よりも長いという可能性はある。それは、音楽を聴いたり、何かを読んだり、こうして何かを書いたりという「ひとり」で出来ることが自分の趣味の大半だから、おのずとそうなっているのだろう。

 

ならば、どうして僕の好きなことは「ひとり」で出来ることばかりなのか。それは恐らく、ひとりでいれば「ズレ」を意識しないで済むからだ。誰の目から見ても僕は充分に平凡であり普通であるはずなのに、そんな普通と僕の間には、ちょっとやそっとでは埋めることのできない「ズレ」があるように思えてならないときがある。

 

本来なら、その「ズレ」を埋めるための努力をしなければならないので、僕にとってのひとりの時間は逃避でしかないのかも知れない。それでもやはり当面は、誰かと一緒にいる時間とひとりの時間との自分にとってベストな比率を維持することしかできそうにない。KIRINJIの『人は孤独な生き物 でも孤立してたらいけない』[7] というフレーズがこれからもその指標になりそうだ。

 

 

[1] 安倍元首相銃撃 宗教団体が会見 “容疑者の母親が信者” | NHK | 安倍晋三元首相 銃撃

[2] (社説)無差別殺傷 孤立社会の病が見える:朝日新聞デジタル

[3] 孤独・孤立対策推進法(令和5年5月31日成立 令和5年6月7日公布)

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/suisinhou/pdf/suisinhou.pdf

[4] 孤独・孤立対策の重点計画(令和3年12月28日 孤独・孤立対策推進会議決定)

https://www.mhlw.go.jp/content/12000000/000885368.pdf

[5] 「人々のつながりに関する基礎調査(令和4年)」の結果では、「あなたはどの程度、孤独であると感じることがありますか。」という質問に対して「しばしばある・常にある」と回答した人の割合は4.9%、「時々ある」が15.8%、「たまにある」が19.6%、「ほとんどない」が40.6%、「決してない」が18.4%となっている。  https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/kodoku_koritsu_taisaku/zittai_tyosa/r4_zenkoku_tyosa/tyosakekka_gaiyo.pdf

[6] 秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大元死刑囚が、2012年に出版した著書「解」の中で「孤独」と「孤立」の違いについて具体例を挙げて述べている。これを引用した「天声人語」では、この考えを『ゆがんだ孤独感』『こんな屈折した思考』と述べているが、[4] の定義に照らしても適切な具体例といえるのではないか。むしろ、みずからの犯行の原因になったかも知れない「孤独」や「孤立」について深く考えた跡が見えるといっても言い過ぎではないように思う。

(天声人語)孤独と孤立:朝日新聞デジタル

[7] KIRINJI/first call(作詞:堀込高樹 作曲:堀込高樹

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勝手に短歌論

確かに、自分がつくった詩を自分で解説することほどダサいことはないかも知れない。自分の作品に解説するほどの値打ちがあると思っている時点で相当にダサいというのが1つ、解説しなければ伝わらないようなものを完成品として世に出していること自体がダサいというのが2つ、そして、詩のなかで伝えきれなかったことをなおも他の手段で伝えようとする諦めの悪さがダサいというのが3つだ。

 

そうは言っても、『短歌』の創作は僕がここ数年にわたって密かにハマっている大事な趣味のひとつで、短歌を「読むこと」ではなく『詠むこと』について語りたいという気持ちをずっと前から燻(くすぶ)らせていた。マンガを読むことと描くことには天と地ほどの差があっても、短歌を読むことと詠むことには2階と1階くらいの差しかないだろう。けれども今回は、その2階からの景色についてどうしても書かせてほしい。

 

題材はこれだ。

 

 

 

 

Ⅰ この街の明かりのどれかにきみがいて夜風に乗って飛んでいけるよ

 

『#短詩の風』の趣旨をそのまま短歌にしたようなものを1つは入れておきたいと考えてつくった。主語になっているのは学生くらいの男で、「きみ」というのは付き合い始めたばかりの彼女。彼氏のほうがいいと思う人は勝手に読み替えてください。デートを終えて、彼女の家の最寄り駅で解散したあと、男は自分の家に帰るために2駅分ほど電車に乗る。ホームは高架になっていて、彼女の住む街が見渡せる。電車が来るまでの間、2月22日22時22分の風に吹かれる男が目にしたものと感じたことを詠んだ歌-という設定だ。

 

この街のどこに住んでいるのかまではまだ知らないけれどいずれは...という粘度高めの下心が、「(早春の)夜風」というモチーフのおかげで、あたかも爽やかな恋心であるかのように仕上がっている。結句の「よ」は字数を整えるためという理由ももちろんあるけれど、この歌全体が彼女への呼びかけであることを示す役割がある。

 

「この街」はどこなのかという問題がある。いちばん初めの着想の時点では、たしかにこの街=浜松だったけれども、短歌としての完成度を高めるべくいろいろと考えているうちに、「この街」というのはその短歌世界における架空の街になるし、その主人公は僕自身とは別の架空の誰かになる。同じように「きみ」というのも現実の誰かを意味することは絶対にない。

 

絶対とまで言い切るのは、短歌というのは『詩』のひとつであり、『詩』と対極にあるもののひとつがいわゆる「内輪ネタ」だと思っているからだ。作者である僕についての情報を踏まえた上でないと理解できないようなものは、仮に僕のことをよく知ってくれている人たちからのウケが良かったとしても、短歌として発表するべきものではないと個人的には考えている。

 

 

Ⅱ この街の明かりのどれかにきみがいて目を凝らすほど滲んでしまう

 

この下の句が浮かんできたときがいちばん気持ちよかったのは言うまでもない。今回の4首には主語がないというのもひとつの大きなポイントなのだけれど、特にこの歌は主語にあたる人物の性別も年齢も問わないような普遍性に少しだけ近付くことができたのではないか、と自分では評価している。

 

「私たちは『美』という性質についてあたかも客観的事実のように語る」ということを本の中で哲学者が述べていた。僕は、特定の誰かに対する好意もそれと同じなのではないかと思っている。少なくとも日本語を使って物事を考えている私たちにとって、「好き」というのは主語を必要としない「好き」であって、あたかも他の人にはなくてその人だけにはある『言葉を超えた何らかの性質』によってその人だけが特別な存在に見える、ということだと思う。好意を動詞と捉える英語の「love」やその訳語である「愛する」が浮いた言葉に聞こえることがあるのは、その辺りに理由があるのではないか。

 

要するに、好意というものは、その場面場面に応じて具体的な行動に変換することが必要なのではないかという考えに基づいて、主人公の好意を「目を凝らす」という行動によって動詞化したのがこの短歌だ。「きみ」への片思いを秘めたままこの春で「この街」を離れなければいけない、というようなメロドラマティックな情景が浮かんでくるのではないかと思う。

 

ちょっとうれしかったことがある。2月の上旬にこの歌が完成したあと、朝ドラ『舞いあがれ!』でヒロイン舞ちゃんとその幼馴染の貴司くんが互いの思いを打ち明けて結ばれるというこの半年で最大級の山場で、貴司くんが次の歌を詠んだ。

 

 

一度ツイートした短歌を読み返して全然ダメだ...と感じることも多いので、完成度が低い状態のまま短歌を世に出してしまうことは可能な限り避けたい。それでも、自分で抱えているうちに同じアイデアを持った他の人が先に短歌を発表してしまうこともある。僕が今さら何を言っても秋月さんに「これ、本歌取りですね~」と言われてしまうだろう。本歌取りというのは「平たく言えばオマージュです」。

 

ともかく僕は、好意の動詞化として「目を凝らす」という言葉を選んだ貴司くん、つまりは脚本家・歌人の桑原亮子さんとのシンクロがうれしかった。満を持して僕の舞ちゃんが現れるのを待ちたいと思います(?)

 

 

Ⅲ この街の明かりのどれかにきみがいてきょうも冷たいあなたの右手

 

発想のもとになったのは『意味が分かると怖い話』と呼ばれているようなホラー要素のあるショートショートだ。解説するまでもなく、いま夜景の中にいる「きみ」といま自分と手を繋いでいる「あなた」は別人であり、それぞれが自分とどういう関係性にある人物なのかを考えるだけでもたくさんの見方が可能だと思う。

 

思い付いてからしばらくは、「あなた」が自分の手を取ってきたのか、それとも自分から「あなた」の手を取ったのかを明示しようと思っていろいろなパターンを探ったのだけれど、残りの14文字でしっくりくるようにまとめるのはかなり難しかった。ただ「あなた」と自分が手を繋いでいる状態だけを描くことに決めたことで、結果的にはより多くの見方が残って、この歌のつかみどころのなさを引きたてられたように思う。

 

あとは三句の「いて」と結句の「右手」で韻を踏んでいるつもりだ。意味的にどっちもどっちだなと思ったときには音声的におもしろいほうを選ぶようにしている。

 

 

Ⅳ この街の明かりのどれかにきみがいていずれはひとつの光に消える

 

この短歌は普通だったらボツにするところなのだけれど、「明かり」と「光」の対比がどうしてもおもしろくて残すことにした。このふたつの言葉は1音目の「a」と「hi」が違うだけで、イントネーションすら同じである。それに何らかの発光するものを指している点も一緒だ。

 

違いは、温度感や規模感に表れてくるのではないだろうか。「つめたい光」はあるけれど「つめたい明かり」はないし、「灼熱の光」はあるのに「灼熱の明かり」はない。「あたたかな明かり」というのはしっくりくる。この歌で描かれている「明かり」もそういうあたたかさがある。そんなあたたかくて小さな「明かり」が無数にある景色というのは、たとえ見知らぬ人たちが暮らす「街」だったとしても、心の温まるものだと思う。

 

その対比として、ひとつの強烈な「光」を置くことにした。「いずれ」というのは期限を定めないので、仕事で使うととても便利な言葉だが、このタイムスパンがどれくらいかによって「光」の正体が変わってくる。

 

究極的なものからいくと、太陽の寿命はおよそ50億年と言われている。それまでに膨張した太陽は地球を飲み込むので、どんな「明かり」も太陽という「ひとつの光」に消えてしまう。もっとも、太陽系外へ脱出した地球の生命がその地で生き続けている可能性が全くないとは言い切れないが。

 

ただ、そんなことを心配するよりも前に、1億年に1回くらいは生物の大絶滅を引き起こす規模の巨大隕石の衝突があるはずだ。大質量どうしが衝突するときのエネルギーはとてつもなく大きな「ひとつの光」を生み出すに違いない。

 

そして、直近で考えられるやや小さめな「ひとつの光」は原子爆弾の類だと思う。こんなことを真顔で言うと1年前までは相当に怪しい人間だと思われた筈だ。しかし、ロシア軍がウクライナ原子力発電所を攻撃したというようなニュースに、実感を伴ってそういった危機を意識した人が僕以外にもいたに違いない。だから何だということをここで書くつもりはないが、いつも自分の気持ちばかりではなく、たまには時代の空気をなるべくそのまま保存しようと試みるのも、短歌をつくる上で必要なことのように思う。

 

 

最後まで読んでもらったお礼になるかどうかは分からないけれども、これまでの僕の短歌の中でいちばんキモくていちばんいい出来だと思っているものを紹介して終わりたい。

 

 

ものすごくやりたいこと(リトルプレス・合唱指揮)

いま僕がものすごくやりたいことについて話をしてもいいですか?

 

Ⅰ リトルプレス

 

リトルプレスとは、小部数の自費出版のことを今風に言ったものである。同人誌とは何が違うのかと訊かれると僕もうまく説明できないけれども、ともかくそういう感じの本のことだ。

 

いま考えているのは、普段このブログに載せているような1000字から2000字くらいの雑文30編と短歌30首を1冊にまとめて、僕がちょうど30歳になる頃に発売する、というものだ。もちろん全部書き下ろしで、できれば1000円ぐらいの値段を設定させてほしい。

 

着想のヒントは『卒論』だ。学部を卒業するときに卒業論文を書いたように、あるいは小学校や中学校を卒業するときに卒業文集を書いたように、20代を終えて30代を迎えるにあたって、いまの僕の全力を出し切って何かを書き上げるというのはおもしろそうだと思ったのだ。

 

それに、形に残して売り物にするとなれば、書くことに関連するあらゆるスキルをいまよりもずっと引き上げなければいけない。そのために必要なのはともかくたくさん書くことだし、たくさん書くために必要なのは無理そうで無理じゃない少し無理な締切なのではないかと思う。およそ1年後までに30編というのは、2週間に1編のペースだ。

 

会社の昼休みにふと思い立って自動見積もりサイトで適当に入力してみたところ、アマゾンにて販売、ソフトカバーで30部印刷したときに、その金額は16万円と出てきた。もしも完売するとして、元を取りたいと目論んだら1部を5000円で売る必要があり、あまりにもめちゃくちゃだ。

 

つまりは、莫大な時間と費用のかかるひとり遊びである。そして、せめてたまにこのブログを読みに来てくれる人たちが買ってくれれば充分に報われるけれども、1部も売れなかったらさすがに苦しいと思う。こういうものは、値段を半分にすれば倍の人数が買ってくれるというものではないだろうし、タダにすれば誰でも貰ってくれるというものでもないだろう。

 

それでも、何かを書くということは、その過程のすべてがなんだかんだで楽しいし、自分の書いたものが誰かに届くということは、どんな褒め言葉よりもうれしいかも知れない。この構想を形にできるのは自分しかいないという思いと、その形にしたものが誰にも届かなかったらどうしようという思いの間で、揺れに揺れている。

 

 

Ⅱ 合唱指揮

 

実を言うと、仕事をはじめて2年目になったら合唱を再開しようかと考えていた時期があった。新型コロナウイルスが流行し始めたのは、1年目が終わる頃だ。その代わりに何かひとりで出来る音楽的な活動はないかと考えた結果、3年目の夏から続けているのがピアノのレッスンである。

 

4年目にあたる今年度は、和歌山の団体の定期演奏会の公募ステージに参加するため、9月から11月までの期間限定で4曲の合唱曲に取り組むことになった。公募ステージなどへの参加はこれが初めてだったし、僕自身のブランクも長かったので、足を引っ張ってしまうのではないかと不安ではあったが、指揮者の先生と団員やほかの参加者の皆さんのおかげで思っていたよりもしっかり歌えたというのが甘めの自己採点だ。

 

再び合唱から遠ざかったいま思うのは、合唱そのものも充分に楽しいけれど、やっぱり自分がやりたいのは「合唱指揮」だということである。何らかのコンセプトに基づいて曲を選んだり、あるいはやりたい曲の中からとあるテーマを見出したりした上で、漠然とした”上手な演奏”よりも明確な”特色ある演奏”を目指せたらいいなと思う。

 

いま僕がものすごくやりたい曲をこっそり教えよう。

 

1. The Real Group - WORDS for SATBB Choir and SATB Vocal Percussion(music and lyrics by Anders Edenroth)

 

2. 混声合唱曲 どのことばよりも(牟礼慶子 作詩/森山至貴 作曲)

 

この2曲をこの順番で演奏したい。理由はというと、1曲目の"Words"に対して2曲目の英題が"Beyond Words"だからだ。合わせて6分くらいなので、どうにかして浜松市民合唱祭に参加して、個人的にも思い入れのあるアクトシティ浜松で披露したい。音取り用の音源などは準備し、みんなが集まったときにはなるべくアンサンブルに専念できるようにして、春から月1回程度練習をすれば10月の本番に間に合うはずだ。

 

また、2曲目はdiv.なしの四部だけれども、1曲目は合唱五部+リズム四部の九部になるので、少なくとも15人くらいは必要だと思う。そもそも、10人以下の小アンサンブルでも成り立つような曲だったら本番の指揮はいらないだろう。

 

この計画のもっとも難しい部分は、メンバーを集めることだと思う。僕の合唱指揮者としての力量を良くも悪くも知ってくれている人たちのうち、どのくらいが誘いに応じてくれるか。合唱していた頃の僕を知らないけれども合唱を通じて知り合ってくれている人が、どのくらい見学や体験に立ち寄ってくれるか。知り合いの知り合いなど、どのくらい広い範囲にこの計画の存在を知ってもらうことができるか。全く予想がつかない。

 

メンバーを集めることにまつわる問題として、兼団のことがある。いずれの団体にも所属していない人だけで人数を揃えることは不可能だと思う。むしろ、いまどこかの団体でバリバリ歌っている人たちにどれだけ加わってもらえるかがキーになるはずだ。しかし、それは、この計画がいまある団体の活動を邪魔することに繋がってしまわないだろうか。

 

さっき、特色ある演奏がうんぬんという話をした。言うまでもなく、僕の身近にあるのは、それぞれの特色と実力を備えていて一聴衆として大好きな団体ばかりだ。どうしても演奏したい曲があり、その曲を通してやりたいことがあって、それは僕が自ら指揮をすることでしか実現できそうにないと言ったところで、僕が日頃から推している団体のメンバーが複数の本番を抱えることで、その団体の本来の活動に対する注力度が下がってしまうようなことがあった場合に、僕のやろうとしていることが正しいとは言えなくなる。

 

ただし、兼団のことを明るい側面から見れば、この計画はかつてない相互理解や交流のチャンスになる可能性もある。いつもコンクールや合唱祭で見かけるあの団体の人たちと一緒に歌うという経験が可能になるわけだし、噂に聞いていたあの先輩/後輩と並んで歌うという場面もあるだろう。一般団体にとっては新たな団員の獲得に繋がることだってあるかも知れない。

 

「ひとりでは出来ないこと」というのが世の中にはたくさんある。ひとりでは出来ないからこそ合唱は楽しくもあり、難しくもある。