昨日と今日は教職の集中講義だった。
「職業指導」というかなりゴツゴツした名前の授業だけれど、先生は最近定年を迎えた話好きなおじいちゃんだ。
とはいえ他の大学でも集中講義を受け持っているなど忙しそうな様子で、何よりいまでも論文を執筆中だそうだ。
余談として心理学の話をよくしてくれる。なかなか興味深い。
僕もみんなも誰でも「心」を持っていて、それをコントロールしたり逆に振り回されたりしながら暮らしている訳だから、
「心」とやらがどんな仕組みになっているのか?
という疑問はみんなが等しく持っているんじゃないのかなぁ。
この単位が取れれば「工業高校機械科の教員」の資格を手にすることができる。
しかも、まともに卒業すれば、「専修免許」というアップグレード版がゲットできるのだ。
・・・といっても全8回のうち4回がやっと終わったところだから、まだ全く油断はできないのだけれども。
書いて公開してしまったからには頑張りたい。
この授業の本筋は紹介しないけれど、
端的な例でありながら本質を突いているような気がしたのは、
進学校では難関大学への合格者数を進路指導の実績として掲げるところもあるが、
本来の進路指導の成果は生徒が自分のキャリア(=一生続くもの)について深く考え、その中で生き抜く力を身に付けることである
という話だ。
その通りだと思った。
僕の大学のネームバリューじゃ中学・高校のクラスメイトの中ではあまり冴えんだろうが、いちおう意志とこだわりがあるんですよ。
そんなことはどうでもよくて、もうひとつ印象的だったのはこれだ。
「education(教育)」の語源は「educo(引き出す)」
やはり「教育」という言葉にはうまく訳しきれていなかった部分があって、
自分の教えたことが正しい!!というのではなくて、
あくまで生徒を主人公としてストーリーを進めていけるようにしなければならない、
そういう教員に私ハナリタイ
・・・
という感じで締めくくるつもりだったのですが、
この説を覆すような論文も出ているようで。
ラテン語文法書における educare の語釈と用例 : ノニウス・マルケッルス『学説集』とエウテュケス『動詞論』を中心に : HUSCAP
白水浩信(2016)『北海道大学大学院教育学研究院紀要』第126号, pp.139-154.
アブストを見るだけでも、さっきの説は「教育学神話」とまで言われています。
後できちんと読んでみようと思います。
どうやら「education」は、僕が思っている以上に奥が深そうです。