ベティの雑記帳

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『水中の哲学者たち』永井 玲衣

哲学者である永井玲衣さんによって2021年に出版された、「哲学をすること」にまつわるエッセイ集である。

 

と、このまま読書感想文を書き進めていきたいところではあるのだけれど、自分のようないわゆる理系の人間が、正確に言えば、哲学についてほとんど何も知らない人間が、こういう題材で何かを書いても大丈夫なのだろうか...と思う。

 

言い逃れとしては、べつに分かった気になって書くつもりはないのでどうか見逃してください、という点に尽きる。

 

僕はこの本を「哲学をすること」について書かれた本だと受け取った。この本を読んだからといって、有名な哲学者の思想が分かるようになる訳でもないし、永井さんご自身の哲学研究の成果について知ることができる訳でもない。けれども、「哲学をすること」とは一体どういうことなのかについては、その端緒をこの本で感じることができたと思っている。それは、どうやら、哲学について学ぶこととは違うし、哲学を研究することとも違っているらしい。

 

ここでは、そうした「哲学」そのものについて書くつもりはない。なので、どうか見逃してください......とかなんとか言っているうちに、『水中の哲学者たち』の最大の特徴を紹介し終えてしまった。

 

それなら、「哲学をすること」というのはどういうことか。その答えは、とてもさまざまで、些細な出来事のなかに潜んでいて、ときに不確かでもあって、エッセイという形態だからこそかろうじて描くことができたようなことだと思う。その描かれ方はとても丁寧で、詩を読むときのようにゆっくりと読みたくなる。

 

特に印象的だったのは、「どうか、考えるということが、まばゆく輝く主体の確立という目的だけへ向かいませんように。自己啓発本や、新自由主義が目指す、効率よく無駄なく生をこなしていく人間像への近道としてのみ、哲学が用いられませんように。」(祈る、125ページ)という部分である。

 

たとえば「人は何のために生きているのか?」という問いに対して、決して「人それぞれだよね」では済ませずに、普遍的な答えに辿り着こうとするのが永井さんらが実践する哲学対話である。このとき、考えれば考えるほど分からなくなるということも往々にしてあって、自分のことでさえ時として分からなくなっていくこともある。

 

一方で、自己啓発本的、新自由主義的な価値観というのは、パッと見では僕たちに主体的な選択権を与えているように見せかけて、実際にはあらゆるものを競争に仕立てて、そこからはみ出してしまう人々をはじめから存在していなかったことにするようなものだと思う。自己啓発本で世界がクリアに見えるのは、そのカラフルな複雑さを画一的な理屈で覆い被せてしまっているからに他ならない。

 

世の中はすでに相当に世知辛くなっていて、「考えれば考えるほど分からなくなるかも知れませんがここはひとまずみんなで丸く座って考えてみましょう」では、そういう体験を本当に必要としている人たちには相手にしてもらえないと思う。ならば、どうすれば「哲学をすること」の価値は広まっていくのか。考えていくしかない。