ベティの雑記帳

つぶやき以上ブログ未満

ひきこもごものひきこもり

8月17日 さっきまで雨

 

きょうは一歩も外に出ていない。もちろん誰とも会っていない。何らかの通信手段による音声のやり取りもない。独り言はいくつか言った気がする。

 

こういう日は、自分がリセットされている感覚があって、ものすごく心地がいい。こういう日がいつまでも続けばいいのだけれど、それでは収入が絶たれて、家賃が払えなくなって、この部屋を追い出されてしまう。自分の城でひとり気ままに過ごす幸せを維持するために、365日のうち250日は城の外に出て、人並みに働かなければいけない。なんてこった。

 

じゃあ、もし仮に、外へ出ることなく定収を得る手立てがあれば(文章で稼いでみたいなぁ...無理だけど)、その暮らしはパーフェクトと言えるだろうか。

 

それは「ひきこもり」と「家出」を同時にやっているようなものだと思う。普通のひきこもりは実家にひきこもる。家賃の心配がないから、何年もひきこもり続けることができる。その一方で、自分の部屋を一歩出たところに「家族」というあまりに強力な人間関係が横たわっているために、そこから出られなくなってしまうという側面があるのも事実だろう。ひきこもりを家庭問題としてその家族に押し付けても、無理やり引き出して矯正施設にぶっ込んでも、ろくなことはない。代わりに、あらゆる人間関係の重力を感じなくてすむような環境にしばし身を置くことで、他者と向き合わなければいけないというプレッシャーから解放され、自分がこれからどのように生きていけばいいのかを見出すことができないだろうか。その様子は「家出」に近い。

 

実家を遠く離れて独身で会社勤めをしているいまの僕を、ひきこもりとか家出というふうに見なすのは流石に無理がある。けれども、この暮らしをいつまでも続けることが正しいとは思えない。それはちょうど、ひきこもりや家出はいつか終わりにしないといけないことと似ている気がしてならない。