ベティの雑記帳

つぶやき以上ブログ未満

引用集ふたたび

本書で扱う取材は、インタビューにかぎらない。誰かの話を聞くことはもちろん、本を読むことも、映画を観ることも、街を歩くことも、電車の車内アナウンスに耳を傾け中吊り広告を眺めることも、すべてが取材だ。

 

もちろん実際に原稿を書きはじめてからも、調べものは出てくるし、考えることは増えていく。少なくとも執筆中のぼくは、ずっと調べ、ずっと考えている。「書くこと」のなかには、調べることと考えること、みずからに問いかけることが溶け込んでいる。

(取材・執筆・推敲-書く人の教科書/古賀史健)

 

 

純粋な好奇心というよりはむしろ「これを知らないと世界の成り立ちや人間の本質がわからない」という切迫感に追い立てられて勉強してきたように思います。

内田樹神戸女学院大学名誉教授)

 

 

自由とは、「あれもこれも選べる」ということではなく、私の解釈では、「元からある方向性を妨げなく展開していける」ということだと思います。

- 田口茂(北海道大学 人間知×脳×AI研究教育センター長)

 

 

私たち人間が次々と技術革新を生み出せるのは、個々人が賢いわけでも、一握りの偉大な天才のおかげでもありません。何世代にもわたって技術が累積するからこそ高度な技術革新が生まれます。そのためには『大きな集団』が必要不可欠なのです。

- ジョセフ・ヘンリック(ハーバード大学 人類進化生物学教授)

 

 

Hold on,

if love is the answer,

you're home

(Epilogue / Daft Punk

 

 

(そんなつごうのいい話、あるわけないじゃないですか

あなたは所詮あなただ

栃木の高校生以上でも以下でもない

ただの夢だったんですよ)

君なら、どうする

(古道/井坂康志)

 

 

<おまけ-地球をだっこする話>

あくまで、ここのところ僕が触れた言葉のなかでも特に印象的だったものを並べただけなのだけれども、順番を入れ替えるうちに意味を持ち始めたのが興味深い。意味というのは、はじめからそこに存在しているものではなく、あとからやって来た誰かが勝手に見出すものだと改めて思う。

 

この前、「地球儀クッション」なるものを買った。名前の通り、世界の国々が4色に塗り分けられた球体のクッションで、両手で抱きかかえるのにちょうどいい。何だかとても気に入ったので、Twitterのアイコンもその写真に替えてしまった。丸いフレームに青い球体が収まっているようすを見たときに、自分は「地球」というモチーフが好きなのだろうと気が付いた。

 

空の高いところにそれはそれは大きな気球が浮かんでいて、「自分は何者なのか?」と大きな文字で書いてある。夜は自ら光を放って昼間よりも多くの人の心を苦しめる。この問いはとても難しく、人類史を見渡したところで、部分的な答えを出した人はいても完全な答えを出した人はまだひとりもいない。

 

だから、この問いに正面から立ち向かうことの替わりに、自分自身が納得できるような形に自分自身を何者かとして定義するということに執心することになる。そのプロセスとして代表的なのが「就活」や「婚活」だ。自分は医師であるとか、◯◯の社員であるとか、△△の妻であるとか、ステータスが高ければ高いほどいい。

 

そんな具合でみんなが目を離した隙に、誰かがこの問いを「自分『たち』は何者なのか?」にすり替えてしまった。

 

これまで通りに自分だけを何者かに定義することができても、新たな問いに対する答えの替わりにはならない。政治家がエネルギー源を見直すと喚いているいまも世界全体では増え続けている人口、ウイルスとヒトとのせめぎ合い、遠くの国で続いている戦争。本当はみんな、そろそろ本気で「自分たちは何者なのか?」について考えなければいけないことを薄々感じている。

 

どうすれば「自分たち」についてより深く知ることができるだろう。海外に出てみて初めて日本について分かることがあるように、地球の外に出てみれば何か新しい発見を得られるのだろうか。いっそのこと自分が外星人になってしまえば、人間のすべてが分かるのかも知れない。

 

僕は、自分は何者なのかを自分で決めなきゃいけなかったり、ましてや他の誰かにいつの間にか決められたりするくらいだったら、「自分たちは何者なのか?」という誰かからの問いかけに真正面から切り込んでいってもいいな、自分自身を定義するプロセスから逃げた代償としてそれ相応の孤独や苦痛が伴うのは間違いないけれども、それでも自由を希求し続けていたいな-そう思った矢先、カラスの鳴き声で目が覚めた。

 

小さな地球を抱きしめたままだった。